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なんとなく適当に書いてるだけです

グミ苦手人間VSグミ

 

 

 ものごころついたときから、グミが苦手でした。

 おそらくは食感が好きでなかったことによるもので、進んで購入したり、食べたりということはなく、帰省時に祖母から渡される肝油ドロップも可能ならば食べずに済ませたいと思っていました。

 ところがグミの対女性求心力は携帯菓子界で随一であり(個人の感想です)、ことあるごとに「1個あげるねー」と差し出されるグミを断り切れずに食べてここまで生きてきた次第です。

 いや、くれたことはとても嬉しいので感謝しています。でも正直、いつもちょっと「グミだな……」と思っていました(そして時間があるときは舐めて食べていました)。ここに懺悔します。

 私は苦手でも世間では昨今大人気のグミ。グミ愛好家の数も多いと聞き、その愛好家の中でも評価の高いグミと低いグミがあるとか。

 このあたりでふと、「グミが苦手な人間がグミを食べたら、その評価はグミ愛好家の多数派意見と真逆になるんだろうか」というどうでもいい疑問が首をもたげ……そして気が付いたら手元にはグミが集まっておりましたとさ。

 今回はそういういきさつのやつです。グミが苦手な人間がグミを食べて好き勝手言いました。その備忘録です。

 グミが苦手な人が目にして共感してくれれば嬉しいし、グミ愛好家側の意見が出てくればそれも面白いな……というくらいのスタンスですね。

グミ苦手人間 VS グミ

【ルール】

 グミを食べて好きなように感想をメモして「好きかどうか」という観点で採点をします。基本的には以上です。

 ……というだけではあんまりなので、ゆるく制約をかけました。

 ・舐めずに最初から噛んで食べる(グミとしての評価をしたいので)

 ・複数の味が入っている製品の場合、原則として全ての味を食べる

  (袋に入っていない場合を除く。味ごとに評価が異なる場合は別で採点する)

 ちなみに残ったグミは全てグミ愛好家のフォロワーに横流ししています。勿体ないからね。

【採点基準】

 採点は0~10点、0.5点刻みで行います。具体的な基準は以下の通りです。

 

 10点 うまい グミでも常食したい

 8点 自腹で買う可能性があるライン

 6点 そこそこだと思う 人からもらった時に「貰った」以上の喜びが生じるライン

 4点 まあ食える

 2点 出されたら食べると思うけどできれば食べたくない

 0点 正直食べ物ではない

 

 グミ愛好家にそのうち刺される気がしてきましたね。

【結果】

 こんなにどうするんだろうな、という種類のグミを購入し、とりあえずやってみた第一陣の結果は以下のようになりました。

 

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ここ一週間ほど、雲雀恭弥のことばかり考えて生活している。
REBORN!にハマってたときは別にそんなに気にしてなかったのにね。「咬み殺すよをずっと聞いてるとカニコロスープに聞こえる」動画を見て爆笑してた記憶はあるのにね。
なんやかんやで色々考えてたので、備忘録として残しておくことにします。

 

①夢小説の雲雀恭弥


そもそものきっかけは「10年ほど前の夢小説の雲雀恭弥」についてフォロワーに語っていたことでした。
当時の夢小説といえば個人サイトが主流だったのですが、いわゆる「選択バトン」や「鑑定を作ろう!」(今で言う占いツクール)にも夢小説的な何かは存在していたんですね。
記憶に変な補正がかかっている可能性は否めないのですが、そういうところで読む夢作品に登場する雲雀はやたらとエロ要員にされていた気がします。特に逆ハーレム傾向のある作品。
なんだか「ヒロインに強引に迫ってキスマークをつける」という流れを幾度となく見たような……見ていないような……
(余談:鑑定を作ろう!は一度滅びたはずなのですが、何か同名のサイトができているみたいです。でも当時見ていた作品たちとはもう出会えない……寂しいですね……)
原作の雲雀恭弥はそんな色欲に塗れた人間には見えなかったように思うのですが、なぜこんなことになっているのでしょうか。
なぜ夢小説の雲雀恭弥は、ヒロインに異常なまでの執着を見せることが多い気がするのでしょうか。なにゆえの共通理解なのかが思い出せないんですね。あれか、強敵と認めるとわりとしつこく追いかけるあたりか……

 

②なぜ雲雀に惹かれた女がたくさんいたのか?


雲雀の女、世間に多くない? 自分の身の回りにはいなかったけど、滅茶苦茶人気ありましたよね?
ただずっと疑問だったんですけど、雲雀って女作るタイプには見えなくないですか? ただ恋人としての女性をそばに置くイメージが薄いので、一体どんな関係を築くんだろうなってずっと思ってるんですよね。
ひいては、「雲雀の女は雲雀とどうなりたいんですか?」っていう疑問になっていくんですね。
でも孤高の人である雲雀恭弥の唯一の相手になりたいという欲求についてはある程度の理解ができる。雲雀恭弥強いし。なんかそういう男に惹かれる層がいることは知ってる。多分その層が思ったより厚かったんだろうなあ。
今改めて見ると雲雀は言動の端々から中学生が滲み出てるし、10年後は大人になって若干丸くなったりしつつ、なんやかんやでどっちも他人に協力する姿勢があるのは愛おしポイントな気がします。動物を愛でているので多分いい人です(ガバガバ判定)。
やっぱり色々ツボを押さえる要素が詰まってるんでしょうね、彼には。ここらへんはちょっと調査してみないことにはなんとも言えないんですけど。どこらへんがハマってるっぽいとか。

 

③なんだあのキャラソン


「ひとりぼっちの運命」とかいうやつ。前々から気になってたけど、この「出会えた偶然を大切にしたいと言って震える手を差し出すキミ」は誰なんだよ。
キャラソン1曲目なんだから無難に自己紹介しておけばいいのに、何でこの人は誰宛か不明のラブソングを歌ってんですかね……? ラブソングだと言い張るのは私の感覚が変かもしれないと思ってフォロワーに確認してもらったけど意見が同じだったのでやっぱりこの曲おかしいんだと思います。
条件にあてはまりそうな人間が本編の中に見当たらないので、当時から今もなお困惑し続けています。
でも本編で全然孤独とか感じてなさそうな雲雀がこんな曲を歌ったことがファンの心を掴み、女性を愛する雲雀のイメージを作ったのかもしれないですね。
っていうかキャラソン第1弾は雲雀と骸のディスクだけ様子がおかしくないですか? 誰があれでGOサイン出したんでしょうね。
それから、内容は関係ないけど「証」の音域普通にきつそうだから大変だなって思います。頑張ってほしい。

 

雲雀恭弥の夢小説かあ


なんか10年くらい前には夢小説書いてたんだよなあ、ということを思い出していたんですけど、よく考えなくても雲雀のは1つも書いてなかったです。多分女と恋愛するさまを思い描けなかったからですけど。
先日出来心でその頃の作品()を掘り返したんですけど、それなりに精神にダメージを負ったので、みなさんにはおすすめしません。迂闊に黒歴史を掘り返してはいけない。しかも過去の自分と解釈違い起こしてるし。
今の自分に無理矢理雲雀恭弥の夢小説書かせたらどうなるんだろうかと考えたんですけど、普通に雲雀とひとことも言葉を交わさずに終わりそうなのでお蔵入りだなって思いました。雲雀恭弥が愛する並盛の風景の一部になるやつ。
年を重ねる中で「人生の小さなシミになる」とか「幸福の背景になる」みたいな作品を書きたがるようになってきている。こわいですね。

 


冷静に書き出したらろくな事考えてなかったわ。

 


おまけ(次回予告)

リボーン夢小説といえば、エロ要員にされる雲雀・骸や便利アイテムにされる10年バズーカその他もろもろ印象深いものがあるのですが、個人的にはもうひとつ
や た ら 「 な の な 」 を 使 う 山 本
の記憶があるんですよね。
でも実際そこまでなのななのな言ってたっけ?という疑問が出てきたので、ちょっと記憶を疑うことにしました。
記憶が正しければ、「なのな」をよく目にしたのは選択バトン、それもオールキャラ傾向のもの……
エムブロのバトン倉庫はまだ生きてるんだよなあ!!!

 

頑張ってデータを取ります。

ネタバレを観たうえで「ドラゴンクエスト YOUR STORY」を観た話

この記事は、映画「ドラゴンクエスト YOUR STORY」のネタバレを含みます。

(あといつにも増して論点が謎です)

 

 


映画「ドラゴンクエスト YOUR STORY」を観た。
知る人は少なくないと思うが、この作品は公開直後(試写会の時点で内々には色々言われてたと小耳に挟んだりもしましたが)より、かなりの低評価を受けている。
低評価の大きな要因は、作品終盤の展開のようだ。原作シリーズや既存のメディアミックス作品のファンには引っかかる点も散見されるようだが、感想を見る限りでは「終盤の展開を受け入れられるか否か」が評価を分けていると見て取れた。
そして今日、私も(有給を取って)その作品を鑑賞してきた。


私は、ドラゴンクエストシリーズについては、自分がそう熱烈なファンではないと思っている。
それぞれの作品のストーリーについては概ね把握しているが、実際に徹頭徹尾プレイしたのは数本だ。
エピソードについてはそれなりに記憶をしているが、詳細に覚えているかと問われれば、プレイしていない作品は特に怪しい。
公式から出版された関連書籍は多少目を通しているが、なにせ歴史の長いシリーズなので、今未だに手にしたことがないものも数多い。
ただ、その中で想い入れが強いのがドラゴンクエスト5だった。
ゲームをプレイし、小説版を読み、CDシアターを視聴した。「天空物語」のコミックスも全巻持っている。大学のサークル新入生歓迎会では、向かいに座った先輩と「ビアンカ派かフローラ派か」で争った。(デボラ派には申し訳ないことをしている)
だから、惨憺たる評価と終盤の「衝撃の展開」をネタバレを見てしまい、それでも劇場に足を運んだ。

 

結論から言えば、「私は紛れもないクソ映画だと思った」。

設定改変がいちいち気にかかり、原作とのキャラクターの違いに動揺しながら観ていた。
なんとかそれらに馴染んできたところで、唐突に噂の「ミルドラースもどき」が出てきて、突きつけられる言葉が「大人になれ」だ。
なってるよ!!仕事もせず学校も行かずでゲームに没頭しているのならまだしも、正当な手続きで得た休日だよ今日は!!この映画の鑑賞料金も私のお給金から出ています!!
主人公がニートの設定であれば納得できたかもしれないが、別段そういう様子もない。ごく普通にドラゴンクエスト5を愛してきた真っ当な(ちょっとノリが痛い)社会人にしか見えない。
詳しい内容については解説する記事が多数存在するため割愛するが、あの「ラスボス」と謎の説教については「誰だよお前……人の娯楽に外野からケチつけんなよ……」以外のコメントがない。
ネタバレ観てなかったらキレてたかもしれないので、なんとか重傷ですんでよかったです。

個人的に思ったことだったが、この作品が全体的にドラゴンクエストシリーズのファンに向いていない。特に、ドラゴンクエストの二次創作をするようなファンには。
ごく一部を除く、ほとんどの人がそうだと思うが、二次創作をする前には原作を観る。キャラクターを把握するためにセリフや行動の傾向を注意深く観察し、やがて覚えるだろう。
少なくとも私はこれが癖になっていて、(二次創作するつもりで作品を観ていなくても)キャラクター印象づけるシーンやセリフは記憶の端に引っかかっていることが多いし、その記憶との矛盾にやや過敏だ。
そして、そういった状態の人間がこの「YOUR STORY」を観ると、原作ゲームや既存の作品との違いに悩まされる。キャラクターに与えられる設定の違い、原作からオミットされた要素、それらが混乱を招くのだ。
「妖精界を救うエピソードはオミットされてて、ヘンリーは攫われたことになってて……あとなんか全体的にキャラの性格が違うし、ゲームだとビアンカは回復呪文覚えなくない?(あれが呪文かはよくわからなかったけど)」
設定の改変は、メディアミックスにおいては珍しくないことだ。「小説 ドラゴンクエスト」では結婚に関するエピソードが大きく変更されているし、「天空物語」では原作ゲームにも登場するドリスが戦闘要員になっている。(そしてめっちゃ胸が大きい)
原作ゲームの長大なストーリーを決められた尺の中に収めなくてはならない以上、設定を削るのは自然なことだ。映画という媒体にするためにより分かりやすく設定を改変する事も必要だろう。
しかし、設定の変更が積み重なり……そこに「実はこの世界はゲームだった!」というオチに向かうための伏線らしき何かが組み合わさることにより、「この改変は果たして何なのか?」と疑問を持つようになってしまった。
「YOUR STORY」内の違和感が、尺や媒体を理由とした改変なのか、制作サイドの原作軽視による粗なのか、オチに向けての伏線なのか、判断が付かなくなるのだ。
二次創作においては、原作からの過度な改変を避けることが多いだろう。必要に迫られた場合を除いては、いわゆる「捏造設定」は避けるべきだという考えが浸透しているように感じる。
理由があるんだかないんだかよく分からないままに原作から改変された設定を見せられ続けるのがより苦痛に感じるのは、間違いなく二次創作の経験がある人間だと思う。とりわけ原作の世界観を尊重する創作を心がけているのであれば、この苦しみはひとしおであることは間違いないでしょう。

 


例によって例のごとく、書いているうちに頭が混乱してきた。やめろ、メダパニは映画内に出てきていないぞ。
おまけに、いつもの記事とは語り口まで違うじゃないか……

劇場に引っ張って鑑賞に付き合わせた母(ドラクエ5は2時間くらいやった)は、「面白かった」と言っていたので、多分「YOUR STORY」は既存の作品に思い入れがある人間ほどハマりやすい泥沼なんだと思います。
とはいえ私はおおむねのことは分かっていて観に行ったので、まだマシな方なんじゃないでしょうか。毒の沼地の真ん中に立ってる看板を読みに行くタイプですし。
我こそはドラゴンクエストファンである!という方は、ネタバレを読まずに鑑賞を避けるか、ネタバレを観たうえで覚悟して観に行くのがよかろうかと思います。

 

 


機会があったら二ノ国でも観に行こうかなあ。

 

 

おまけ書く元気はないです。

機会があったら小説版の結婚エピソードの話をしたいです。

 



「♡Cupids!」を聴いた話 ~一年越し~

 

時は2月にさしかかろうというこの頃、ますます寒さは厳しさを増しておりますが、いかがお過ごしでしょうか。

この時期のイベントといえばやはり代表的なものが節分ですよね。アイドルマスターSideMにおいては、「JIGOKU」というトンデモステージ背景を生み出した謎の節分ロックイベントが開催されたことが個人的には印象深いです。

やっぱり2月といえば節分!節分こそ最大のイベントですよね!!

 

……という特に面白くもない冗談はこのくらいにしておきましょう。

この時期、大概のソーシャルゲームではいわゆる「バレンタインイベント」が開催されます。イラスト、テキスト、ボイスなどに力を入れている場合も多く、かなり規模の大きいイベントといえるのではないでしょうか。

アイドルマスターSideMもその例に漏れず、ホワイトデーにまで引き続く大規模なキャンペーンを例年行っています。今年のキャンペーンはどんな地獄かな!

 

しかし、昨年のバレンタインデーはもうひとつの大事件が起こった日でもありました。

そう、「THE IDOLM@STER SideM 3ed ANNIVERSARY DISC 02」が発売された日です。

これまで、こちらのCDに収録されているFRAMEの「Swing Your Leaves」と、もふもふえんの「伝えたいのはこんなきもち」について(適当極まりなく日本語の怪しい)記事を書きました。そして今、約1年越しにF-LAGSの「♡Cupids!」の記事を書いているのです。

自分で言っていて溜息が出るくらい遅いんですけど、確か「伝えたいのはこんなきもち」の記事を書いたときに「このペースだとF-LAGSは春ですかね!」って言ってた気がしますし、まあそれよりは早いってことで許してください。

 

 

「♡Cupids!」の歌詞を見るとしみじみと思うのですが、この曲は現在発売中のアイドルマスターSideM楽曲の中ではトップクラスに「アイドルらしい」曲ではないでしょうか。

ポップな曲調や「恋する誰かへの応援歌」としての一面にクローズアップした時、「現実にCMソングとかになってそう」感がすごい。まあ、アイドル有識者ではないのであまり強く主張できたことではないんですけど。

発売日がバレンタインというのがそこに拍車をかけていたんですよね。チョコレートのCMに使われてそう……と思ったプロデューサーさんもいらっしゃるのではないでしょうか。

 

F-LAGSのユニットカラーといえば青色です。「ST@RTING LINE」ではその抜けるような青によく似合う、旅立ちを思わせる2曲を歌っていました。

それを踏まえてみると、「♡Cupids!」はF-LAGSの新曲としてはかなり大胆だったと思うんですよね。

だって、この曲のイメージカラーはどう考えてもピンクとかそういう柔らかい暖色でしょう。ユニットカラーと正反対じゃないですか。

プロデューサーである私たちから見たユニットとしてのイメージをベースに置いて、それを進化させた「Swing Your Leaves」や「伝えたいのはこんなきもち」とはまた違う、アイドルとしてのイメージを膨らませた「♡Cupids!」。あの世界のファンたちの見る「アイドルとしてのF-LAGS」を見せつけるような新曲に、とても驚かされたものです。

 

 

──と、ここで終わるはずがなかったんですよ──

 

 

F-LAGSは、アイドルマスターSideMがサービス開始してから、初めての追加ユニットです。つまり、サービスが開始してから新しくゲームに登場したキャラクターたちなんですね。

ユニットとしての成り立ちもやや特殊で、すでに他のアイドルマスターシリーズに登場していた秋月涼に2人の新キャラクターを加えた構成になっています。

アイドルマスターSideMでの秋月涼には、かつて女性アイドルとしてトップの座を勝ち取りながらも「自分が本当は男性である」とカミングアウトした、という前提が与えられています。そして、新キャラクターである兜大吾と九十九一希はそんな「抱えていた秘密を臆せずに打ち明けた」秋月涼の姿に感銘を受けてアイドルを目指すんですね。

アイドルとしての経験が豊富な秋月涼、なぜか修羅場慣れしているらしく(すっとぼけ)年齢のわりに非常に大きな器の兜大吾、多岐にわたる豊富な知識と尽きない好奇心を持つ九十九一希、とバランスのいい3人です。

 

アイドルマスターSideMをプレイしているプロデューサーの皆様はご存知でしょうが、兜大吾・九十九一希両名の過去といえばまあそれなりに言葉に表しにくい部分もありまして、いわば2人は秋月涼というアイドルの生き方に「救われた」側面を持っている……と私は考えています。

ただ、ひとに手を差し伸べるのって正直エネルギーをめちゃくちゃ使うんですよね。正直、自分に余裕がないのに他人に構おうなんて思えないくらいには。誰かに救われないといけないような状態の人間が他の人に何かをしようなんて、そうそうできるようなもんじゃないというか。

では、誰かにに救われる立場である2人のいるこのユニットが、3周年の折に改めて「♡Cupids!」という応援歌を歌ったのは何故なのでしょう。

それは、重ねた時間や仲間との出会いを経て彼らが過去を乗り越え、今度は自分こそが誰かに手を差し伸べようと思ったからではないでしょうか。

かつて自分たちを救った人間と共に、今度は別の誰かに手を差し伸べるため進んでいく……そんな新しい目標、夢への一歩を踏み出すF-LAGSを象徴する楽曲が「♡Cupids!」なのかもしれません。

……まあここまで全部私の勝手な解釈と適当な妄想の結果なんで、実際のところ正解にあたる「何故」もなにもないんですけど。担当プロデューサーをはじめとしたF-LAGSに一家言ある皆様におきましては、そういう考えもあるねえ、くらいの気持ちで見逃がしてください。

 

 

難しいことをなにひとつ考えないと「この時期にぴったり(と年中言い続ける)の超可愛い曲だよ~~!!!!すき!!!」ってなっちゃうんであれこれ捏ね繰り回したんですけど、正直なことを言うとほんとに「うわ~~~~かわいい~~~~!!!」って感じの曲です。

男性の可愛さを会得した秋月涼、頼りがいと同時に年相応の弾けるような元気を覗かせる兜大吾、物静かな平素の印象がゆえに僅かなぎこちなさがありつつも魅力に変換し尽している九十九一希……どこをとっても素晴らしいんです。

この記事をお読みになった皆様も、この機会に改めて聞きながら可愛さを噛み締めてほしいと思っています。

 

 

 

 

以下、おまけです。まったくもってまともな内容ではありません。考察もしません。

 

 

九十九一希といえば、年々キャラクターの掘り下げが進むと共に表面化したさまざまな「おちゃめ」な部分が注目されているようです。

(そのネタ一辺倒ではよくないのですが)「どちらを取るか迷うな……どちらも買うか」の「九十九買い」は、中でも私が個人的に気に入っている行動のひとつです。

と、いうのも、迷う過程をすっ飛ばして欲望のままに行動する姿勢が、何だか好ましく見えるんですよね。それで誰かに迷惑をかけているようならば許されない行為なのですが、結果としては彼の懐が痛むだけですし。

 

ここまでが前置きです。ここから私は九十九一希というアイドルの素晴らしいキャラクター性の9割9分9厘を切り捨て、「欲望に逆らわない」ことの話をします。担当プロデューサーに怒られろ。

これは以下の文章のあんまりな出来を見かねた私が「せめてまっとうな人間がここで読むのをやめてくれるように」と願い、投稿直前に付け足した文です。

 

 

私は本質的にコミュニケーションというものが甚だ面倒に感じられる人間で、まあ付き合いも大切だからそれなりにやるけど死ぬほど嫌だし避けたいですよ!!みたいなタイプです。

そんなコミュ障でも、学生をやっていると卒業がやってきます。卒業論文ってやつを書かなきゃいけないんですよ。すると研究室に所属しないといけなくなります。

……何がどうして4年目になって新しいコミュニティに移動しなきゃいけないんだ……

慣れないタイプの先輩、致命的に気の合わない同期、声をかけるだけでわりと瀕死になる己の精神状態……蓄積されたストレスはついに、爆発に至ったのです。

 

──エロは世界を救う。

いやなんかもうねえ、結局そういうことだなあって思いました。セクハラは楽しいなあ!みたいな。もちろん現実の人間にそんなことしようものなら一発アウト、ポリスメンのお世話になるか訴訟問題になるかは知らないけど人生おしまいですよ。

アイドルにセクハラをしたい。意味もなくしたい。そして本気で怒られるかドン引かれるかしたい。実際にできなくてもいい。私は!牙崎漣に!「胸囲を測らせてくれ」と頼み込み!!本気の「ハァ?」を浴びたい!!!

念のため言い訳をしておきたいのですが、決してアイドルを貶めようという意図はありません。好きだからこそ恥ずかしがる姿を見たいし嫌がる顔も見たい、そういうことです。

 

アイドルマスターSideMさんが筋肉を売り出すことを覚えてからはほんとに「そうそうそれ!!やればできるじゃないかお前も!!!」みたいな感情がすごい。筋肉はいいものなんだよ!!

華奢な印象だけど結構鍛えてるの~~??みたいな細マッチョ?じゃないんですよ!!実用筋肉!!実用筋肉は素晴らしい!!それはさながら、職人の扱う伝統の用具が作品の如き芸術性を持つように!!!!!FRAMEの筋肉は!!実用筋肉!!!!

だからもっと脱がせていこう、もう意味もなく破れスーツみたいの着せましょう。ワイシャツに筋肉を押し込めたりしましょう。

彼らの肉体の素晴らしさを!!!世界に知らしめましょう!!!ね!!!!

 

 

などということを考えていると、何故だか心が軽くなっていくんですよね。でも落ち着いて考えてみれば当然で、ストレスを発散しようという時に(内容はともあれ)欲望を好きに曝け出すというのはそりゃあ有効に決まってるんじゃないかと。

だからよそ様に迷惑のない限りであれば趣味の範囲内で好きにやることを厭わないでいたい。「自分はアイドルに好かれるに足る人間である」とまでは思いあがってないから……PはPという概念だから……

あっでもやたらに脱がせるのはほんとに皆さんやってくれて構わないんですよ? 全く意味のない謎の場所に穴があいてる衣装とか。っていうかもっと全体的にガタイ盛ってもいいんですよ……?

 

 

そして、かくもひどいおまけ(にもならない何か)を書きあげて、ふと我に返りました。

節分で祓うべき「鬼」とは、私のような欲に満ちた愚者の抱く邪念なのではないでしょうか……?

 

 

※欲に任せて好き勝手やってる間にとんでもないやつとの遭遇があったので、その話をいつかしたいです。

劇場版Cybernetics Wars おどるアンドロイドひみつ基地

この記事は、指示があるまで全ての悲劇を忘れてお読みください。

 

チームK.G.D.のメンバーであるケイン、ソル、ブラッドは、とある廃屋にアンドロイドが出入りしているとの情報を受けて調査に向かった。寂れた廃屋から生き物の気配はしないが、どうも最近誰かが出入りした形跡があることが気になる。3人は目配せし合い、廃屋の中に侵入していった。
一方その廃屋の中では、アンドロイドたちがせっせと部屋を飾り付けていた。各パーツをはじめとした物資を補給するために、アンドロイドたちのリーダーであるキースがここに立ち寄るらしい。廃屋あらため補給基地として、キースたちを全力でもてなそうと準備をしていたのだ。
駆け回るアンドロイドたちを指揮していた1体は、突然ハンドマイクを取り出した。マイクについたスイッチを押すと、どこからともなく楽しげな音楽が流れ始める。その瞬間、部屋の中のアンドロイドたちが一斉に踊り出した!このマイクは「アンドロイドダンシングマイク」と名付けられた技術の粋で、ダンシングプログラムを配布、強制起動することによって周囲のアンドロイドたちを躍らせることができるのだ。果たしてキースたちが楽しんでくれるかは分からないが、娯楽用アンドロイドとして作られた彼は、こういったもてなし以外を知らなかったのである。
マイクのスイッチを切り、アンドロイドたちはまた歓迎の準備に戻っていったとき、突然部屋に侵入者が現れた。チームK.G.D.の人間たちだ。
逃げるアンドロイドと、それを追う人間。パニックのさなかで揉み合いになったひょうしに、事故でアンドロイドダンシングマイクのスイッチが入ってしまった。流れ出す音楽。そのまま、アンドロイドたちは抗うこともできず踊り始めてしまう。
逃げられなくなったアンドロイドたちは一巻の終わりかと思われたが、なんと人間たちまで同じように踊っているではないか。どうやら、義手をはじめとした人工パーツがプログラムを受信したことにより、彼らにもマイクの効果が及んだらしい。
スイッチが切れれば追いかけっこ、スイッチが入れば全員が踊るしかない。スイッチが切れたり入ったり……アンドロイド補給基地で、大混乱のダンスパーティーが始まる!?


なんといっても見所は、本編中に繰り返されるダンスですよね! そして、そのダンスと共に披露される315プロの歴代楽曲の数々も必見です。なんでも、この映画のためだけにさまざまなダンスに合わせてアレンジバージョンを制作したそうで。一部楽曲は過去作に出演していた冬美旬さん、都築圭さんによる編曲なので、ファン必聴です。本編に使用されなかった楽曲についても、サウンドトラックに収録されるとか。
さらに、劇中音楽については315プロ全面協力ということで、本作に出演していないユニットの楽曲が使用されている場面もあるとか。知っていればニヤリとできること間違いないですね。

そしてもうひとつ、本記事独占情報を入手しました!
実は「おどるアンドロイドひみつ基地」にはゲストキャラクターとして、過去の作品に登場したキャラクターたちがこっそり出演しているそうなんです。どこにどんなキャラクターが登場するのかはまだ内緒、とのことでしたが、劇場では皆さんも是非探してみてください!

「劇場版Cybernetics Wars おどるアンドロイドひみつ基地」は、3150年3月15日公開です!

 

……っていうほのぼの路線みたいなやつが見たかった……


今さらサイバネの話するの何なんだよ、って思われる方もいらっしゃるでしょうから、先に言い訳をしておきます。「予告(あらすじ)部分はイベント開催期間中には出来上がっていました」。
ゲーム内で公開されているストーリーを読めば分かると思うんですけど、サイバネ2本編のストーリーは過去2作と比較してそこまで「しんどい」ポイントがなかったんですよね。と、いうのも、ゲーム内ストーリーではまだ物語が未完の状態で、今後発売される(らしい)書籍でその続きを補完するからだそうで。
大馬鹿の私はそれをすっかり失念しており、「握野英雄が復讐者の役をやる」という情報を見ただけで「過ぎた復讐心は身を滅ぼす……英雄、死ぬぞ……」と意味のわからん覚悟を決めていたようです。まあ主人公だから死なないかもしれないけど、仮に生存しても大事なものを失ったりするだろうと思い込み、絶望し、その結果が冒頭の妄想です。
どっこい実際にストーリーが来てみれば前述の通り、過去作ほど大変なことにはなっていなかったんですね。明確に死んだことが描写されるキャラクターはなし、なんか割と早いタイミングでソル(英雄)はアンドロイドと協力路線に転向してるし、案外悲惨じゃないな……となって、このCERO A版の「劇場版Cybernetics Wars」は宙ぶらりんで扱いに困ったという経緯です。

そして、正直今回これ以上書くことを用意していません。

元ネタは同年代になら言わずと知れた、ポケモンのあの短編映画です。自分は初めて劇場で観たポケモン映画がこれだったので、なんとなく思い出深い作品でもあります。
今回この記事を書くために改めてDVDを見返したんですけど、「サイバネもこれくらい平和路線だったら幸せだったんや……」とEDで泣いていたので我ながらやべーやつだとドン引きしました。でも私はブランコ二人乗りするリクとADAMが見たい。
あと見直して気付いたのは「今観ても面白い」ってことですね。尺は決して長くないのに、その中にギミックが色々仕込まれていて飽きずに楽しめるんです。ドタバタ系ギャグはいいもの。
SideMもなんかそういうドタバタしかない対象年齢3歳とかのイベントやってほしいです。……実はエイプリルフールがその枠なんでしょうか?

 

 

恒例のおまけを書こうにも何書けばいいか分からなかったんで、私が予告時点で危惧していた「悲惨な結末」の話でもしときます。

如何せん予告段階で本編の内容に関する情報がほとんどなかったんですよね。
ただ私が漠然と「特定のグループに偏見をもって復讐とか誓っているやつは、何だかんだで絆された頃に庇われるか庇うかして死ぬ」「あるいは復讐心に囚われ、何よりも大切なものを失う羽目になる」というあまりにも偏ったイメージを持っていまして……「英雄は最終的にアンドロイドに庇われるかアンドロイドを庇って死ぬかするだろ」とか思ってました。

「ロイの反逆から2年。人間とアンドロイドが手を取り合う社会の実現が僅かに叶い始めた頃。英雄演じる捜査官は、アンドロイドによる蹂躙で家族を失った過去から彼らに復讐を誓っている(先輩にあたる輝らがその憎悪の強さに由来した英雄の精神的な不安定さを心配する描写がある)。アンドロイドを無差別に破壊する英雄は、同胞であるはずの人間にさえも恐れられていた。英雄は捜査官としての活動を通じて類演じるアンドロイドと出会い、彼がアンドロイドだと知らないまま親交を深めることになる。しかし、各地で発生するアンドロイド暴走事件の鎮圧の最中、英雄はふとしたきっかけで類の正体を知ってしまい、2人は決別。類を遠ざけた英雄だったが、その心の内には『アンドロイドだという理由だけで憎悪する必要はあるのか』という葛藤が残っていた。同時に、このところ単独でアンドロイド討伐を行っている時の記憶がないことに思い当たる。やがて、英雄は気が付いてしまった。高い戦闘力を持つアンドロイドに対抗するためにサイボーグ化を繰り返した自分の体は、今やアンドロイドと表現しても相違ない域にまで機械化が進んでいるということに──。アンドロイド用の強制暴走プログラムが疑似アンドロイドともいえる自分にまで影響を及ぼしていると確信した英雄は、復讐心の象徴ともいえるこの肉体と共に自分を殺すように類に請うのであった……」

ってくらいの惨い(?)話でもおかしくないのではないかと思い込んでたんですね。予告見ただけで。まあこの場合だとアンドロイドを庇って死んではいないんですけど。
「機械化を繰り返した体がアンドロイド同然になり、自分がもはや何を守っているのか見失う」とか「復讐に囚われすぎた結果最初の目的を忘れてしまう」とかそういうの嫌いじゃないです。担当がそういうことするとしんどいので嫌ですけど。
ザンボット3でやってる、「本当に戦う意味があるのかという疑問をよりにもよって敵にぶつけられる」っていうのがあまりにも辛いけれど名シーンだと思っているので、なんていうかその……察してください。あと知らない人は詳細をググってください。そんな感じの好みが詰まっているのがこの妄想シナリオ「僕の考えたさいばねてぃくすうぉ~ず2」です。

実際蓋を開けてみたら、すべての事件を解決するための鍵がソルに託されたことでもう「ソルは最後まで死なない(最後に死なないとは言ってない)」が確定しちゃったんですけど……ただ、ソルを最終決戦の地に導くために仲間が次々死んでいったりしないかは心配しています。
あと、個人的にはブラッドが「アンドロイドを庇って死ぬか庇われる」の有望株になりました。

結局公開された後も似たような流れで死人を出そうとしているあたり、自分の業の深さを感じますね! 冒頭で見せたハッピーエンド至上主義感は嘘か?
公式の続編は死人もなく完結することを祈っています。(棒読み)

「伝えたいのはこんなきもち」を聴いた話 〜秋〜

暦の上では夏も終わりましたが、まだまだ暑い日が続きますね。夏休みはもう終わりましたが、中高生(もしかしたら小学生)のみなさんは無事に宿題を終えたのでしょうか。
ちなみに私は学校が始まってからも宿題が残っており、「これは最初の授業に提出するものだから4日までにやればいい」などと言ってめちゃくちゃなことをしていた模範的な問題児でした。みなさんはちゃんと宿題やってください。その時は価値がないように思えるかもしれませんが、積み重ねた学力はいずれ自分を守る盾になり得ます。


という説教くさい話はまあ置いておいて、みなさんこの夏に何か思い出はあるでしょうか?


いろいろなところに遊びに行った方もいらっしゃると思います。私もペット共々家族旅行に行きました。
夏の思い出としてもう一つ。先日映画を観に行きました。夏の定番、ポケモン映画です。
まだ夏休みも明けぬ平日の映画館、レディースデー目当てのお母様と子供たち……その中で独りポップコーンとドリンクを抱えている成人女性(私)の姿はさぞ異様に映ったとは思いますが、折れそうな心を奮い立たせて頑張りました。(ヘルガー役でSideMの牙崎漣役である小松昌平さんが出演されてましたが、私は全く分かりませんでした)
私はあまり劇場で映画を観ないタチなので年に2,3本観るか観ないかで、しかもたまに観ると思ったらアニメ映画ばっかりだったりします。ポケモンの前に観た映画は春にやっていたドラえもんでした。(ゲストキャラのフロック君役がSideMの猫柳キリオ役でもある山下大輝さんで、しかもキャラが可愛いので、地上波放送の暁にはみなさんよろしくお願いします)


こんな話を長々としている理由なんですが、実はこの記事は春に書こうと思ってたんですよ……ちょうどドラえもんを観た時に……なんでこんなに遅くなったんですかね……


もふもふえんの3rdAnniversary曲、「伝えたいのはこんなきもち」を初めて聴いたとき、真っ先に浮かんだ感想が「これは春休みにやっている長編アニメ映画のEDだ……!」でした。


これは絶対に黒背景に流れるスタッフロールに似合う曲だと確信しました。全体の雰囲気は、冒険のハッピーエンドを飾っていそう。さらに、等身大の優しさで相手に寄り添い、相手のために自分には何ができるのか?と考えて手を差し伸べる歌詞が子供の大きな成長も窺わせて、冒険と成長の物語らしく思えます。でもちょっと雰囲気が柔らかいので、冒険でも夏休みではなくて春休み。理由はこんなところです。


ではなぜこれがそんな春休み映画のED曲に思えるかといえば、もふもふえんが歩んできた3年間がまさに「冒険と成長の物語」だったからではないかと思います。
アイドルマスターSideMの世界観は(反社会的組織っぽい何かや王位争いっぽい何かがあったりもしますが)基本的に平和で、本編中で誰かが大変な危険に晒されたりするような事件はほぼありません。冒険活劇と呼ぶにふさわしいような派手なことはあまり起こらない、心臓に優しい世界です。(ライブはあまり心臓に優しくない)
ただ、もふもふえんは子役やキッズモデルとしての芸歴こそあれどまだ小学生、315プロでは最年少のユニットです。ただでさえ毎日が発見に満ち溢れている中、様々な経歴を持つ仲間たちと過ごす日々はまさに冒険のようにドキドキできるものだったのではないでしょうか。そんな体験を通して彼らが成長しているのは、ゲーム内イベントの言動などから感じ取ることができます。
最近になるともう初期では考えられないような言動も増えてきて、子供の成長の早さを噛み締めることもしばしばです。


個人的には「ずっとやくそく せいくらべしなくなっても」というフレーズに大きな彼らの成長を感じました。
彼らに今後訪れる未来については、ST@RTING LINE 収録曲「もっふ・いんざぼっくす♪」でもなんとなく触れられているのですが、「めざすはめきめきスター☆」であり、目標としての意味合いがかなり強かったように思えます。
初期のもふもふえんといえば(担当Pではないのであまり訳知り顔でものを言えないのですが)、アイドルになる動機こそあれどその後の未来についてはっきりと思い描いてはいなかったのではないでしょうか。特に、メンバーの一人である姫野かのんについては、大人になることをあまり快く思っていないような言動もあったと記憶しています。
せいくらべをしなくなる未来は、目標ではありません。放っておいても勝手にやってきてしまう、漠然として捉えようのない未来です。そういった種類の未来をもふもふえんが歌えるようになったのは、やがて来るそんな時を待つことができるくらいの成長をしたからではないか、と私は考えています。


私は門外漢なのですが、成長を感じさせつつも可愛らしさを残した曲調や音がとても素晴らしいとも思いました。
曲全体の雰囲気は柔らかいのですが、ゼンマイの音やホイッスルがところどころに含まれることで、おもちゃ箱の中にいるような楽しさ、賑やかさも感じられます。楽しさや賑やかさは、過去に発売されたもふもふえんの楽曲からもよく感じ取れる雰囲気です。
その雰囲気を残すことで、「伝えたいのはこんなきもち」はまさに「成長したもふもふえんの曲」に仕上がっているのだと思います。


最終的にどころかもう初っ端から映画のことは関係ないんですけれど、「伝えたいのはこんなきもち」を聴きながら映画のED映像妄想するのはとても楽しいので、みなさんどうかお試しください。


……こんなことを書くのになんで秋までかかったかって話なんですけれど、実は就職活動ってやつをしていたんですね。
就職活動はギリギリ、そして今卒業論文でもギリギリのところに立っています。
冒頭で宿題について口を酸っぱくしていましたがつまり、宿題を残す人間はその後の人生においていかなる課題もギリギリにしがちなので、間に合う皆さんはどうかそうなってくれるなという願いでございます。学力が盾になるとかそういう話以前に……どうか綱渡りし続ける人生にだけはなってくれるなという……
まあ、宿題のリミットである夏休みはとっくに終わってるんですけど……



この下は、今後も恒例にしたい「酔狂な人向けのおまけ」です。


先ほども述べましたが、もふもふえんといえば「アイドルマスターSideM」においては平均年齢が最も低い、いわゆる最年少ユニットですよね。


アニメやゲームにおいて、登場キャラクターの中に幼い少年(少女)がいることは珍しくないと思います。特にソーシャルゲームのようなキャラクター数が増える作品では、少年あるいはそれに近い外見のキャラがいない例の方が珍しいのではないでしょうか。(以後「少年キャラ」とします)

少年キャラの売りはなんといっても子供らしさなので、年上に甘えたり、甘やかされたりという描写は多くなります。そしてそこに、例えば腹黒さや子供らしからぬ達観を加え、ギャップを生み出すキャラ造形をさせることもしばしば見受けられます。


もふもふえんは3人ユニットですが、その全員が少年キャラです。こうなると、ユニット内で誰かに甘えることは難しくなりますよね。全員が子供ですから。
共演した別のユニットから子供として扱われることもありますが、仕事になれば対等にアイドルの仲間として認められ、お互いに仲間としての態度で接しています。
ストーリー中でそれぞれが抱える悩みが描かれ、それが子供らしからぬ深いものに思えることもありますが、宣伝文句にするようなギャップというほど少年キャラと剥離してはいないようにも感じられます。
ここで、もふもふえんは少年キャラでありながら、少年であることを最大の売りにはしていないのでは……?という疑問が生まれました。


ふと思い出したのですが、子供向けの作品は主要な登場人物が子供であることも多いですよね。子供なのに強大な敵に立向って、最後には世界を救ってしまったりする。冷静に考えると子供には物理的に難しいことも多いんですけど、そこを突っ込む人はほとんどいません。
それはおそらく、登場人物が子供であることが物語にとってあまり重要ではないからではないでしょうか。物語の構造としては子供を出す必要はあまりないのだけれど、ターゲット層が子供なので商法としては必要なんですね。


上に挙げたのは極端な例です。
もふもふえんのキャラクター性において、彼らが子供であることは必要なことでしょう。多くの経験を通じて彼らが子供らしく成長していく様は、好感や感動を与えてくれます。
一方で、作品内で少年キャラとしては少し変わった見せ方をしているのも事実ではないでしょうか。
子供であることを自覚してそれを武器にしつつも、他の大人たちに負けたくはないし負けるつもりもさらさらない。もちろんもふもふえんは「アイドルマスターSideM」における少年キャラ3人のユニットなのですが、年齢差なんてお構いなしに同じ土俵で戦っているのがよく分かります。



具体的に「ここが違う!」という根拠を示せてはいませんが、なんとなく他と違う気がする少年キャラもふもふえんの成長にこれからも期待したいと思います。



「Swing Your Leaves」を聴いた話

 

みなさん、「宇宙猫」って知ってますか? 有名な画像です。宇宙を背景に、なんともいえない顔をした猫。見たことがある方も多いと思います。
なんで突然こんな話をしたかというと、つい最近宇宙猫みたいな顔になった経験があったからです。それが表題にもある、先日発売された「THE IDOLM@STER SideM 3rd ANNIVERSARY DISC 02」に収録されているFRAMEの新曲、「Swing Your Leaves」を聴いた時のことなんですけれどもね。

 

もう1年以上前のことになりますが、アイドルマスターSideMの2周年を記念して発売された「アイドルマスター SideM THE IDOLM@STER SideM 2nd ANNIVERSARY DISC 01」に、DRAMATIC STARSの「MOON NIGHTのせいにして」が収録されました。その後同シリーズの02には、S.E.Mの「サ・ヨ・ナ・ラ Summer Holiday」が収録され、アイドルマスターSideMとしては当時衝撃的なラブソングが2曲も発売されるという事態に震えたのは未だ記憶に新しい出来事です。
この時、「自分の担当ユニットにも新曲でラブソングが来るかもしれない」と思ったPのみなさんも少なくないでしょう。かくいう私もその一人で、担当ユニットはおろか全員ラブソングを歌えばいいのにと、各ユニットのラブソングについて日々考えを巡らせていました。
そして待ちました。もうずっと待ってました。まあこの待ってるあたりの話はいろいろあるので割愛しますが、そうしてやっとこ発売が決まった3rd ANNIVERSARY DISC 02で、担当ユニットの、FRAMEの新曲が収録されることになりました。

 

で、ここで宇宙猫です。

 

まさかとは思っていたけれど本当に来ちゃったよ、と。ラブソングが。その衝撃ときたら言い表しようがなく、もうただ呆然とするしかないんですね。感動するとかしないとかのところまで理解が行かない。現実が自分の想像を超えたとき、人間はそれに抗うすべを持たないんです。何が起きているのかわからないまま試聴範囲が終わって、やっと出た言葉は「現実ってすげーな」でした。
そこから何回も何回も聴いてようやくある程度慣れてきて、その頃にCDが発売されました。当然購入してフルを聴きました。

 

また宇宙猫です。

 

ずるい。とにかくずるい。こんな曲を出して、FRAMEの人間性を愛している人々の心を的確にもぎ取りにきている。FRAMEにこのラブソングを歌わせてくれて本当にありがとうございます。

 

とにかくこの新曲「Swing Your Leaves」(以下「SYL」)はずるいんです。「MOON NIGHTのせいにして」や「サ・ヨ・ナ・ラ Summer Holiday」(以下「ムンナイ」「サマホリ」)ももちろんすごい力のある曲ではあるんですが、「SYL」はひとつ圧倒的にずるいところがある。
なにがずるいって、この曲をFRAMEに歌わせているのがとにかくずるいでしょう。
ムンナイ」や「サマホリ」は、アイドルとしてのユニットが歌っていると言い切れる曲でした。DRAMATIC STARSはありのままの当人たちがあんなにイケイケなわけではないし(だからこそ「ムンナイ」はすごい曲なのですが)、S.E.Mは教え導く大人たちでありこそすれ、「サマホリ」のような大人っぽくほろ苦いような恋愛経験があるかと問われると疑問が残ります。
「SYL」は「FRAMEがもし恋愛をしたらこうかもしれない」を的確に突いてきているんです。大切な人がそこにいてくれるだけで幸せで、ただ自分には少し自信がなくて、それでもまっすぐに、ゆっくりでも相手を大切に守って、慈しんでいきたい。FRAMEを知っているP、さらにFRAMEを好きなPであれば、「これはFRAMEの曲だ」と認識せずにはいられないじゃないでしょうか。
この瞬間、「SYL」がアイドルのFRAMEが歌っているラブソングではなく、FRAMEに所属する握野英雄、木村龍、信玄誠司が一人の男として自分の気持ちを歌っている曲に思えてくるかもしれない。そして、優しくやわらかい声が、アイドルとしてラブソングを歌う声ではなく、本人たちのありのままの愛を込めた声に聞こえてくるかもしれない。そうなったらもうおしまいです。「ST@RTING LINE」でみんなを助けるヒーローとしてのFRAMEの曲を聴いて、そこからこの「SYL」を聴いたときの、「ヒーローのFRAMEがただの男としての愛を歌っている」という衝撃の強さたるや。ずるい。
一人一人のソロパートの歌詞も掻い摘んでみましょう。待ち合わせより早く着いてしまう握野英雄や、駆け引きや嘘の苦手な信玄誠司、全然悪くないのに魅惑の体験をさせられないことを謝る木村龍。なんともそれっぽいじゃないですか。もう本人たちそのものでは? としか思えない。とてもずるい。

 

しかし、FRAMEのヒーロー性が失われたのかといえばそうではないんですね。
ラスサビ前の「声の出ない日 そっと側にいられる関係に」なんてまさにそれが顕著で、「勇敢なるキミへ」で歌っていた、「辛いときや困難にぶつかったときには側にいて助ける」というFRAMEのあり方そのものじゃないですか。
この曲で歌われている愛は、不器用でもいいからとにかく相手を大切にして守りたいという愛で、まさにFRAMEのヒーロー性に通じるところのある愛です。一見ただの男になってしまったと思われる「SYL」のFRAMEも、やはりヒーローとしてのFRAMEの延長線上にある姿だったのです。
つまり、「SYL」はFRAMEのヒーロー性を損なうことなく、そこに成人男性としての魅力を添えてくれた、素晴らしいラブソングであったということです。

 

とにかく「SYL」はFRAMEのとてつもないラブソングでした。歌詞も、メロディも、歌い上げる声も、どこかしこが素晴らしい。FRAMEのラブソングとして、限りなく正解に近い形だったのでしょう。
なんとなく思ったことを表面的にでも書き留めておこうと思い、こうしてお付き合い頂きました。乱文ではありましたが、少しでも共感できる部分があれば幸いです。
非常に残念ですが、私は音楽に知見があるわけでもなく、詩歌を嗜むわけでもありませんので、この曲を隅々まで語りつくすには不足な人間です。

 

なにせ、聴くたびに宇宙猫ですから。

 

 


ここからはほとんど曲に関係ない話をちょっとしているだけなので、とんでもない暇人か酔狂な人くらいしか読まなくていいです。

 

アイドルマスターSideMで「ヒーロー」といえば、なんとなく天道輝、握野英雄、紅井朱雀の3人が思い浮かぶのではないかなあ、と思います。ヒーローに憧れ、それを目指す3人、という点は共通していますよね。

 

この中で他とちょっと違うかな、と思うのは天道です。というのも、朱雀や握野と異なり、天道は目標として「ヒーローになりたい」を掲げているようなんです。残りの二人は、「悪人を改心させたい」「子供たちにひとりじゃないと伝えたい」という目標が先にあって、ヒーローはあくまでその象徴のようなもの。でも天道の目標が子供っぽいわけではなくて、多分彼はヒーローに憧れた純粋な気持ちを経験として強く残していて、「誰かの人生の道しるべになれるくらいの強い目標になりたい」んじゃないかと私は考えています。

 

握野のヒーロー観もあってか、FRAMEのヒーローとしてのあり方は、とにかく弱きを助けるということに重点を置いているようです。そもそも、FRAMEは前職からして、人々に理不尽に降りかかる困難を取り除くことに尽力しているのは明らかです。到底太刀打ちできないような困難にぶつかったときに助けてくれるのがFRAMEなんですね。「SYL」で、「楽しい日を分かち合う人」が引き合いに出されたことで、このあたりがいっそう際立ったように感じます。
いわば、守りのヒーローといったところでしょうか。理不尽で強大な困難や苦難から誰かを守るヒーローです。

 

神速一魂は、その逆を行くヒーロー性であると感じます。重点を置くのは強きを挫くことで、とにかく悪人を倒す。もちろん根本的な目的は誰かを守ることなのですが、そのために原因となる悪をなくしてしまおうという考えなんですね。
こちらは、攻めのヒーローといったところでしょう。誰かを苦しめる悪を倒すヒーローです。

 

なんというか、神速のヒーロー性はまさに若いなあ! という雰囲気です。誰かを守るために苦しみの原因を取り除く、という行動自体に間違いはありません。ただ、相手を悪と設定している以上、悪と定められない苦難に対してはなんとも対応しづらい。
困難にぶつかったときにはきっと手を差し伸べてくれるFRAMEは優しいヒーローなのかもしれないとも思うのですが、一方で彼らは背中を押してくれるだけであって、最終的に決着をつけるのは困難に向かう当人でしかありません。絶対に当人にはどうにもできないことがある、ということを理解しているからこそ手を差し伸べてくれるわけですが、決して苦楽を共にしてくれるわけではないのだなあ、と思うと寂しい気もします。

 

同じヒーローという要素を残しつつ、「誰かの憧れ」「困難から守る」「悪を倒す」という別の面にスポットを当てることでさらに広がりを持たせる。さすがのキャラクター作りだと感心した、という話でした。