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なんとなく適当に書いてるだけです

「伝えたいのはこんなきもち」を聴いた話 〜秋〜

暦の上では夏も終わりましたが、まだまだ暑い日が続きますね。夏休みはもう終わりましたが、中高生(もしかしたら小学生)のみなさんは無事に宿題を終えたのでしょうか。
ちなみに私は学校が始まってからも宿題が残っており、「これは最初の授業に提出するものだから4日までにやればいい」などと言ってめちゃくちゃなことをしていた模範的な問題児でした。みなさんはちゃんと宿題やってください。その時は価値がないように思えるかもしれませんが、積み重ねた学力はいずれ自分を守る盾になり得ます。


という説教くさい話はまあ置いておいて、みなさんこの夏に何か思い出はあるでしょうか?


いろいろなところに遊びに行った方もいらっしゃると思います。私もペット共々家族旅行に行きました。
夏の思い出としてもう一つ。先日映画を観に行きました。夏の定番、ポケモン映画です。
まだ夏休みも明けぬ平日の映画館、レディースデー目当てのお母様と子供たち……その中で独りポップコーンとドリンクを抱えている成人女性(私)の姿はさぞ異様に映ったとは思いますが、折れそうな心を奮い立たせて頑張りました。(ヘルガー役でSideMの牙崎漣役である小松昌平さんが出演されてましたが、私は全く分かりませんでした)
私はあまり劇場で映画を観ないタチなので年に2,3本観るか観ないかで、しかもたまに観ると思ったらアニメ映画ばっかりだったりします。ポケモンの前に観た映画は春にやっていたドラえもんでした。(ゲストキャラのフロック君役がSideMの猫柳キリオ役でもある山下大輝さんで、しかもキャラが可愛いので、地上波放送の暁にはみなさんよろしくお願いします)


こんな話を長々としている理由なんですが、実はこの記事は春に書こうと思ってたんですよ……ちょうどドラえもんを観た時に……なんでこんなに遅くなったんですかね……


もふもふえんの3rdAnniversary曲、「伝えたいのはこんなきもち」を初めて聴いたとき、真っ先に浮かんだ感想が「これは春休みにやっている長編アニメ映画のEDだ……!」でした。


これは絶対に黒背景に流れるスタッフロールに似合う曲だと確信しました。全体の雰囲気は、冒険のハッピーエンドを飾っていそう。さらに、等身大の優しさで相手に寄り添い、相手のために自分には何ができるのか?と考えて手を差し伸べる歌詞が子供の大きな成長も窺わせて、冒険と成長の物語らしく思えます。でもちょっと雰囲気が柔らかいので、冒険でも夏休みではなくて春休み。理由はこんなところです。


ではなぜこれがそんな春休み映画のED曲に思えるかといえば、もふもふえんが歩んできた3年間がまさに「冒険と成長の物語」だったからではないかと思います。
アイドルマスターSideMの世界観は(反社会的組織っぽい何かや王位争いっぽい何かがあったりもしますが)基本的に平和で、本編中で誰かが大変な危険に晒されたりするような事件はほぼありません。冒険活劇と呼ぶにふさわしいような派手なことはあまり起こらない、心臓に優しい世界です。(ライブはあまり心臓に優しくない)
ただ、もふもふえんは子役やキッズモデルとしての芸歴こそあれどまだ小学生、315プロでは最年少のユニットです。ただでさえ毎日が発見に満ち溢れている中、様々な経歴を持つ仲間たちと過ごす日々はまさに冒険のようにドキドキできるものだったのではないでしょうか。そんな体験を通して彼らが成長しているのは、ゲーム内イベントの言動などから感じ取ることができます。
最近になるともう初期では考えられないような言動も増えてきて、子供の成長の早さを噛み締めることもしばしばです。


個人的には「ずっとやくそく せいくらべしなくなっても」というフレーズに大きな彼らの成長を感じました。
彼らに今後訪れる未来については、ST@RTING LINE 収録曲「もっふ・いんざぼっくす♪」でもなんとなく触れられているのですが、「めざすはめきめきスター☆」であり、目標としての意味合いがかなり強かったように思えます。
初期のもふもふえんといえば(担当Pではないのであまり訳知り顔でものを言えないのですが)、アイドルになる動機こそあれどその後の未来についてはっきりと思い描いてはいなかったのではないでしょうか。特に、メンバーの一人である姫野かのんについては、大人になることをあまり快く思っていないような言動もあったと記憶しています。
せいくらべをしなくなる未来は、目標ではありません。放っておいても勝手にやってきてしまう、漠然として捉えようのない未来です。そういった種類の未来をもふもふえんが歌えるようになったのは、やがて来るそんな時を待つことができるくらいの成長をしたからではないか、と私は考えています。


私は門外漢なのですが、成長を感じさせつつも可愛らしさを残した曲調や音がとても素晴らしいとも思いました。
曲全体の雰囲気は柔らかいのですが、ゼンマイの音やホイッスルがところどころに含まれることで、おもちゃ箱の中にいるような楽しさ、賑やかさも感じられます。楽しさや賑やかさは、過去に発売されたもふもふえんの楽曲からもよく感じ取れる雰囲気です。
その雰囲気を残すことで、「伝えたいのはこんなきもち」はまさに「成長したもふもふえんの曲」に仕上がっているのだと思います。


最終的にどころかもう初っ端から映画のことは関係ないんですけれど、「伝えたいのはこんなきもち」を聴きながら映画のED映像妄想するのはとても楽しいので、みなさんどうかお試しください。


……こんなことを書くのになんで秋までかかったかって話なんですけれど、実は就職活動ってやつをしていたんですね。
就職活動はギリギリ、そして今卒業論文でもギリギリのところに立っています。
冒頭で宿題について口を酸っぱくしていましたがつまり、宿題を残す人間はその後の人生においていかなる課題もギリギリにしがちなので、間に合う皆さんはどうかそうなってくれるなという願いでございます。学力が盾になるとかそういう話以前に……どうか綱渡りし続ける人生にだけはなってくれるなという……
まあ、宿題のリミットである夏休みはとっくに終わってるんですけど……



この下は、今後も恒例にしたい「酔狂な人向けのおまけ」です。


先ほども述べましたが、もふもふえんといえば「アイドルマスターSideM」においては平均年齢が最も低い、いわゆる最年少ユニットですよね。


アニメやゲームにおいて、登場キャラクターの中に幼い少年(少女)がいることは珍しくないと思います。特にソーシャルゲームのようなキャラクター数が増える作品では、少年あるいはそれに近い外見のキャラがいない例の方が珍しいのではないでしょうか。(以後「少年キャラ」とします)

少年キャラの売りはなんといっても子供らしさなので、年上に甘えたり、甘やかされたりという描写は多くなります。そしてそこに、例えば腹黒さや子供らしからぬ達観を加え、ギャップを生み出すキャラ造形をさせることもしばしば見受けられます。


もふもふえんは3人ユニットですが、その全員が少年キャラです。こうなると、ユニット内で誰かに甘えることは難しくなりますよね。全員が子供ですから。
共演した別のユニットから子供として扱われることもありますが、仕事になれば対等にアイドルの仲間として認められ、お互いに仲間としての態度で接しています。
ストーリー中でそれぞれが抱える悩みが描かれ、それが子供らしからぬ深いものに思えることもありますが、宣伝文句にするようなギャップというほど少年キャラと剥離してはいないようにも感じられます。
ここで、もふもふえんは少年キャラでありながら、少年であることを最大の売りにはしていないのでは……?という疑問が生まれました。


ふと思い出したのですが、子供向けの作品は主要な登場人物が子供であることも多いですよね。子供なのに強大な敵に立向って、最後には世界を救ってしまったりする。冷静に考えると子供には物理的に難しいことも多いんですけど、そこを突っ込む人はほとんどいません。
それはおそらく、登場人物が子供であることが物語にとってあまり重要ではないからではないでしょうか。物語の構造としては子供を出す必要はあまりないのだけれど、ターゲット層が子供なので商法としては必要なんですね。


上に挙げたのは極端な例です。
もふもふえんのキャラクター性において、彼らが子供であることは必要なことでしょう。多くの経験を通じて彼らが子供らしく成長していく様は、好感や感動を与えてくれます。
一方で、作品内で少年キャラとしては少し変わった見せ方をしているのも事実ではないでしょうか。
子供であることを自覚してそれを武器にしつつも、他の大人たちに負けたくはないし負けるつもりもさらさらない。もちろんもふもふえんは「アイドルマスターSideM」における少年キャラ3人のユニットなのですが、年齢差なんてお構いなしに同じ土俵で戦っているのがよく分かります。



具体的に「ここが違う!」という根拠を示せてはいませんが、なんとなく他と違う気がする少年キャラもふもふえんの成長にこれからも期待したいと思います。