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なんとなく適当に書いてるだけです

「Swing Your Leaves」を聴いた話

 

みなさん、「宇宙猫」って知ってますか? 有名な画像です。宇宙を背景に、なんともいえない顔をした猫。見たことがある方も多いと思います。
なんで突然こんな話をしたかというと、つい最近宇宙猫みたいな顔になった経験があったからです。それが表題にもある、先日発売された「THE IDOLM@STER SideM 3rd ANNIVERSARY DISC 02」に収録されているFRAMEの新曲、「Swing Your Leaves」を聴いた時のことなんですけれどもね。

 

もう1年以上前のことになりますが、アイドルマスターSideMの2周年を記念して発売された「アイドルマスター SideM THE IDOLM@STER SideM 2nd ANNIVERSARY DISC 01」に、DRAMATIC STARSの「MOON NIGHTのせいにして」が収録されました。その後同シリーズの02には、S.E.Mの「サ・ヨ・ナ・ラ Summer Holiday」が収録され、アイドルマスターSideMとしては当時衝撃的なラブソングが2曲も発売されるという事態に震えたのは未だ記憶に新しい出来事です。
この時、「自分の担当ユニットにも新曲でラブソングが来るかもしれない」と思ったPのみなさんも少なくないでしょう。かくいう私もその一人で、担当ユニットはおろか全員ラブソングを歌えばいいのにと、各ユニットのラブソングについて日々考えを巡らせていました。
そして待ちました。もうずっと待ってました。まあこの待ってるあたりの話はいろいろあるので割愛しますが、そうしてやっとこ発売が決まった3rd ANNIVERSARY DISC 02で、担当ユニットの、FRAMEの新曲が収録されることになりました。

 

で、ここで宇宙猫です。

 

まさかとは思っていたけれど本当に来ちゃったよ、と。ラブソングが。その衝撃ときたら言い表しようがなく、もうただ呆然とするしかないんですね。感動するとかしないとかのところまで理解が行かない。現実が自分の想像を超えたとき、人間はそれに抗うすべを持たないんです。何が起きているのかわからないまま試聴範囲が終わって、やっと出た言葉は「現実ってすげーな」でした。
そこから何回も何回も聴いてようやくある程度慣れてきて、その頃にCDが発売されました。当然購入してフルを聴きました。

 

また宇宙猫です。

 

ずるい。とにかくずるい。こんな曲を出して、FRAMEの人間性を愛している人々の心を的確にもぎ取りにきている。FRAMEにこのラブソングを歌わせてくれて本当にありがとうございます。

 

とにかくこの新曲「Swing Your Leaves」(以下「SYL」)はずるいんです。「MOON NIGHTのせいにして」や「サ・ヨ・ナ・ラ Summer Holiday」(以下「ムンナイ」「サマホリ」)ももちろんすごい力のある曲ではあるんですが、「SYL」はひとつ圧倒的にずるいところがある。
なにがずるいって、この曲をFRAMEに歌わせているのがとにかくずるいでしょう。
ムンナイ」や「サマホリ」は、アイドルとしてのユニットが歌っていると言い切れる曲でした。DRAMATIC STARSはありのままの当人たちがあんなにイケイケなわけではないし(だからこそ「ムンナイ」はすごい曲なのですが)、S.E.Mは教え導く大人たちでありこそすれ、「サマホリ」のような大人っぽくほろ苦いような恋愛経験があるかと問われると疑問が残ります。
「SYL」は「FRAMEがもし恋愛をしたらこうかもしれない」を的確に突いてきているんです。大切な人がそこにいてくれるだけで幸せで、ただ自分には少し自信がなくて、それでもまっすぐに、ゆっくりでも相手を大切に守って、慈しんでいきたい。FRAMEを知っているP、さらにFRAMEを好きなPであれば、「これはFRAMEの曲だ」と認識せずにはいられないじゃないでしょうか。
この瞬間、「SYL」がアイドルのFRAMEが歌っているラブソングではなく、FRAMEに所属する握野英雄、木村龍、信玄誠司が一人の男として自分の気持ちを歌っている曲に思えてくるかもしれない。そして、優しくやわらかい声が、アイドルとしてラブソングを歌う声ではなく、本人たちのありのままの愛を込めた声に聞こえてくるかもしれない。そうなったらもうおしまいです。「ST@RTING LINE」でみんなを助けるヒーローとしてのFRAMEの曲を聴いて、そこからこの「SYL」を聴いたときの、「ヒーローのFRAMEがただの男としての愛を歌っている」という衝撃の強さたるや。ずるい。
一人一人のソロパートの歌詞も掻い摘んでみましょう。待ち合わせより早く着いてしまう握野英雄や、駆け引きや嘘の苦手な信玄誠司、全然悪くないのに魅惑の体験をさせられないことを謝る木村龍。なんともそれっぽいじゃないですか。もう本人たちそのものでは? としか思えない。とてもずるい。

 

しかし、FRAMEのヒーロー性が失われたのかといえばそうではないんですね。
ラスサビ前の「声の出ない日 そっと側にいられる関係に」なんてまさにそれが顕著で、「勇敢なるキミへ」で歌っていた、「辛いときや困難にぶつかったときには側にいて助ける」というFRAMEのあり方そのものじゃないですか。
この曲で歌われている愛は、不器用でもいいからとにかく相手を大切にして守りたいという愛で、まさにFRAMEのヒーロー性に通じるところのある愛です。一見ただの男になってしまったと思われる「SYL」のFRAMEも、やはりヒーローとしてのFRAMEの延長線上にある姿だったのです。
つまり、「SYL」はFRAMEのヒーロー性を損なうことなく、そこに成人男性としての魅力を添えてくれた、素晴らしいラブソングであったということです。

 

とにかく「SYL」はFRAMEのとてつもないラブソングでした。歌詞も、メロディも、歌い上げる声も、どこかしこが素晴らしい。FRAMEのラブソングとして、限りなく正解に近い形だったのでしょう。
なんとなく思ったことを表面的にでも書き留めておこうと思い、こうしてお付き合い頂きました。乱文ではありましたが、少しでも共感できる部分があれば幸いです。
非常に残念ですが、私は音楽に知見があるわけでもなく、詩歌を嗜むわけでもありませんので、この曲を隅々まで語りつくすには不足な人間です。

 

なにせ、聴くたびに宇宙猫ですから。

 

 


ここからはほとんど曲に関係ない話をちょっとしているだけなので、とんでもない暇人か酔狂な人くらいしか読まなくていいです。

 

アイドルマスターSideMで「ヒーロー」といえば、なんとなく天道輝、握野英雄、紅井朱雀の3人が思い浮かぶのではないかなあ、と思います。ヒーローに憧れ、それを目指す3人、という点は共通していますよね。

 

この中で他とちょっと違うかな、と思うのは天道です。というのも、朱雀や握野と異なり、天道は目標として「ヒーローになりたい」を掲げているようなんです。残りの二人は、「悪人を改心させたい」「子供たちにひとりじゃないと伝えたい」という目標が先にあって、ヒーローはあくまでその象徴のようなもの。でも天道の目標が子供っぽいわけではなくて、多分彼はヒーローに憧れた純粋な気持ちを経験として強く残していて、「誰かの人生の道しるべになれるくらいの強い目標になりたい」んじゃないかと私は考えています。

 

握野のヒーロー観もあってか、FRAMEのヒーローとしてのあり方は、とにかく弱きを助けるということに重点を置いているようです。そもそも、FRAMEは前職からして、人々に理不尽に降りかかる困難を取り除くことに尽力しているのは明らかです。到底太刀打ちできないような困難にぶつかったときに助けてくれるのがFRAMEなんですね。「SYL」で、「楽しい日を分かち合う人」が引き合いに出されたことで、このあたりがいっそう際立ったように感じます。
いわば、守りのヒーローといったところでしょうか。理不尽で強大な困難や苦難から誰かを守るヒーローです。

 

神速一魂は、その逆を行くヒーロー性であると感じます。重点を置くのは強きを挫くことで、とにかく悪人を倒す。もちろん根本的な目的は誰かを守ることなのですが、そのために原因となる悪をなくしてしまおうという考えなんですね。
こちらは、攻めのヒーローといったところでしょう。誰かを苦しめる悪を倒すヒーローです。

 

なんというか、神速のヒーロー性はまさに若いなあ! という雰囲気です。誰かを守るために苦しみの原因を取り除く、という行動自体に間違いはありません。ただ、相手を悪と設定している以上、悪と定められない苦難に対してはなんとも対応しづらい。
困難にぶつかったときにはきっと手を差し伸べてくれるFRAMEは優しいヒーローなのかもしれないとも思うのですが、一方で彼らは背中を押してくれるだけであって、最終的に決着をつけるのは困難に向かう当人でしかありません。絶対に当人にはどうにもできないことがある、ということを理解しているからこそ手を差し伸べてくれるわけですが、決して苦楽を共にしてくれるわけではないのだなあ、と思うと寂しい気もします。

 

同じヒーローという要素を残しつつ、「誰かの憧れ」「困難から守る」「悪を倒す」という別の面にスポットを当てることでさらに広がりを持たせる。さすがのキャラクター作りだと感心した、という話でした。